「独仏国境」の続きです。
ザールブリュッケンの直ぐ隣にフランスのシュピヒェルンという小さな地区があります。
そこはかつて普仏戦争(1870/71年)の主戦場で、ここでのプロイセンの勝利が
ドイツ統一に繋がり、ドイツ帝国が誕生しました。
その場所は現在、「ドイツ・フランス・文化自然公園シュピヒェルン」という名の
公園として整備されています。
現在そこには、第二次世界大戦時、実際にドイツに攻め入った
アメリカ軍の戦車が展示されています。
この場所は国境という場所柄、第二次世界大戦でも前線になり、
多くの者が犠牲になりました。
この場所はドイツ領になったりフランス領になったりしますが、
第二次世界大戦の時はドイツ領で、そこを通るようにしてジークフリート線という
防衛線が完成しました。
これは1930年代後半にドイツのフランス国境地帯を中心に構築された、
ドイツの対フランス要塞線です。
その当時のドイツ軍のトーチカ(防空壕、鉄筋コンクリート製の防御陣地)が
幾つかあり、そのまま放置されています。写真は裏側ですが、
正面側は草が生えた大地でこういった建造物は全く分からないようになっています。
フランス、ドイツ帝国、ザールブリュッケンのそれぞれが犠牲者に捧げる碑を作りました。
公園として整備された現在は馬がいて平和的な印象を与える場所となっています。
そしてその近く、ドイツ側には普仏戦争で犠牲になったドイツ兵を埋葬している
「名誉の谷」という場所があります。
そちらも現在は公園として整備されています。
(ですがここでは谷ということを意識して仕上げました。)
現在、独仏の国境はコントロールもなく通過することが出来ますが
こういった様々なものを目にすると改めてこの場所が国境と言うことを
意識させられます。