新しいショッピングセンター

ここ最近、街中には「ヨーロッパ・ギャラリーのオープン」という
看板が目立ち始めました。

ヨーロッパ・ギャラリー

その「ヨーロッパ・ギャラリー Europa Galerie」という新しいショッピングセンターが今日開店しました。
かつてザール・ギャラリーと呼ばれたショッピングセンターと
それに隣接して建っていた炭坑管理局の建物がそれに生まれ変わりました。
ドイツ連邦政府は2018年までに石炭採掘を終えることを決めたので
ザールラントの石炭産業も中止になりその建物から退去し、
その文化財保護建築がショッピングセンターとして再利用されることになりました。

ヨーロッパ・ギャラリー

この建物はかつてのプロイセン王立炭坑局で、
ショッピングセンターとなった今もその当時の面影を残しています。

ヨーロッパ・ギャラリー

ヨーロッパ・ギャラリー

ヨーロッパ・ギャラリー

2008年からショッピングセンターへの立て替えが始まりました。

ヨーロッパ・ギャラリー

このオープン初日には9万の人が訪れたと言うこと。
それだけ新しいショッピングセンターに期待していた人が
多かったと言うことでしょうか。
中には約110軒のお店が入っています。

ヨーロッパ・ギャラリー

その他の内部の写真や改装中の写真は続きでどうぞ。

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雨と晴れと虹

最近色々と忙しい日々が続いていますが
久しぶりに日中に時間が出来たので家の近くを散歩しました。
この日は朝から雨が降っていましたが、
そのときはちょうど晴れ間が覗く空模様だったのも
外へ出ようと思ったきっかけでした。
ここ最近は雨の日が続いており気温も低くなっています。
この日、散歩に出かけた午後3時頃の気温は5度と肌寒いです。
赤色の落ち葉が目に入ってきました。

秋の景色

街を見下ろせる少し高い場所に登りました。
他に人の姿はなく寂しい場所でしたが、
午前中は雨だったので外に出る人が少なかったのかもしれません。

秋の景色

紅葉しているところや、既に落ちてしまったものなど
この時期ならではの明るい色があります。

秋の景色

また落ち葉で一杯のところもあります。
遠くの方を見ると少しずつ黄葉してきているようです。

秋の景色

風が強く、雲の流れも速いです。
その雲の流れを見ていると空の広さが感じられます。
快晴のようになったと思えば雲が接近してきます。

秋の景色

反対の方向を見ると空に蓋をしたような重い雲が近づいてきているのが見えます。
その雲のせいで、手前の紅葉がよりカラフルな色になっているようです。
その向こう側には斜光が見えます。

秋の景色

よく見ると小さな虹が出ています。

秋の景色

少し移動して撮りました。
虹を見たのは随分久しぶりのような気がします。

秋の景色

このあと家に帰りましたが、暫くするとまた雨が降ってきました。
散歩していた時がちょうど雨が一休みしていた時間のようでした。

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果物の秋

友人が果物を持って遊びに来ました。
珍しい蟠桃(ばんとう、Plattpfirsich)。
最初この形を目にした時は潰れているのかと思いましたが
食べてみると非常に甘く、驚きました。
美味しくいただきました。

果物

因みに柿はドイツ語でも Kaki です。
本来ドイツにはないもので、輸入されてそのまま名前が付いたようです。
調べてみるとヨーロッパには1789年に輸入され、
現在はイタリアで多く生産されていると言うこと。
思った以上に歴史があります。

果物

独仏国境 つづき

前回の

「独仏国境」の続きです。
ザールブリュッケンの直ぐ隣にフランスのシュピヒェルンという小さな地区があります。
そこはかつて普仏戦争(1870/71年)の主戦場で、ここでのプロイセンの勝利が
ドイツ統一に繋がり、ドイツ帝国が誕生しました。
その場所は現在、「ドイツ・フランス・文化自然公園シュピヒェルン」という名の
公園として整備されています。
現在そこには、第二次世界大戦時、実際にドイツに攻め入った
アメリカ軍の戦車が展示されています。
この場所は国境という場所柄、第二次世界大戦でも前線になり、
多くの者が犠牲になりました。

独仏国境

この場所はドイツ領になったりフランス領になったりしますが、
第二次世界大戦の時はドイツ領で、そこを通るようにしてジークフリート線という
防衛線が完成しました。
これは1930年代後半にドイツのフランス国境地帯を中心に構築された、
ドイツの対フランス要塞線です。
その当時のドイツ軍のトーチカ(防空壕、鉄筋コンクリート製の防御陣地)が
幾つかあり、そのまま放置されています。写真は裏側ですが、
正面側は草が生えた大地でこういった建造物は全く分からないようになっています。

独仏国境

フランス、ドイツ帝国、ザールブリュッケンのそれぞれが犠牲者に捧げる碑を作りました。

独仏国境

独仏国境

公園として整備された現在は馬がいて平和的な印象を与える場所となっています。

独仏国境

そしてその近く、ドイツ側には普仏戦争で犠牲になったドイツ兵を埋葬している
「名誉の谷」という場所があります。
そちらも現在は公園として整備されています。
(ですがここでは谷ということを意識して仕上げました。)

独仏国境

現在、独仏の国境はコントロールもなく通過することが出来ますが
こういった様々なものを目にすると改めてこの場所が国境と言うことを
意識させられます。

独仏国境

前回の日記

「フランスへ買い物に行く」でフランス側へ買い物に行ったと書きましたが
ドイツとフランスの国境です。
自由に行き来することが出来ます。
かつての税関(ドイツ側から)

独仏国境

独仏国境

かつての税関(フランス側から)

独仏国境

別の道の国境案内板

独仏国境

独仏国境

更に別の道の国境案内板

独仏国境

これらの看板だけを見ると
国境と言うよりは県境といったような雰囲気があります。
更に別の国境、こちらはザール川沿いですが、
それに関しては「続き」をどうぞ

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フランスへ買い物に行く

私が住むザールブリュッケンはフランスとの国境に接しており
EUになってからは検問などもほとんどなく
自由に行き来できます。
友人の車に乗せてもらって新しい家に必要なものや
食料品などをフランスのスーパーに買いに行きました。
街中から国境までどれくらい時間がかかるか調べていませんが
感覚的に15分ほどという感じです。
ですので実際はもう少しかかっているかもしれません。
お店の駐車場ではフランスナンバーだけでなく、ドイツナンバーの
車もよく目にします。
フランスの郊外型大型スーパー、そこはザールブリュッケンよりも
食料品が豊富で特に魚やデザート類はかなりの量があります。
また値段も物価や消費税の違いからドイツよりも安く購入できます。
(ドイツの消費税は19%、食料品などは7%。
対してフランスの消費税は19.6%、食料品などは5.5%)
ただカメラ関連はドイツ同様、それほど品揃えがよいわけでもなく
また

以前日記でも書いた日本で見られる熱気のようなものもありません。
ここへ来ると毎回同じデザート、コーヒー、エスプレッソを購入します。
そしてドイツでは手に入らない珍しいものを購入します。
今回はカップヌードルを購入しました。
味噌椎茸味とチャンポン味です。
上面のデザインは同じなので、上から見ただけだと、
どれがどの味かは判断できません。
同じパッケージを使うのは合理的だと思いますが
不便な点も多いと思います。
しかしそれがフランスの考え方かもしれません。
容器もプラスチックです。

カップヌードル

そういえばこのスーパーには別の日本風カップ麺がありました。
楽(Tanoshi)というブランドですが、日本のメーカーではないようです。
鉄板焼き味と寄せ鍋味です。

カップ麺

ドイツのカップヌードルと比較してみました。
(下の写真のそれぞれ左側がドイツのカップヌードル)
大きさなどは同じように見えます。
因みにこのドイツのカップヌードルは鳥カレー味。
他には鳥、牛肉、シーフードなどがあり、
珍しいところではブロッコリー味やトマト味があります。
調べてみるとドイツでは現在10種類発売されていると言うこと。
国や地域が変われば食の好みも変わるようで面白いです。

カップ麺

鍵の引き渡し

古い家の方の鍵を管理人に返還しました。
管理人と一緒に各部屋を周り確認していきます。

古い家

引っ越しで中身が空になり、電気なども外したので
古い家の方は寂しく音がよく響きます。
この家は床がタイルで珍しい住居でした。
家具がないと何故か狭く見えてしまいます。
この写真では天井の高さや窓の大きさが伝わりにくいですが、
ものがあると天井までの高さがわかるので
部屋がより広く見えるような気がしました。
この古い方の家はメゾネット住居(複層住居)で
アパート(マンション)の3階と4階で一つの住居でした。
階段には自分で撮影した写真をシンプルに飾っていました。
時々写真を差し替えます。
引っ越し直前に撮ったものなので殺風景になっている気がします。

古い家

古い家

更にその上には天井から降りてくる梯子を使って登る屋根裏部屋がありましたが、
ここは何年間、何十年間、使われていなかったようで
私も覗いただけで一度も入りませんでした。
管理人曰く、屋根の工事をする時だけ出入りすると言うことでした。
別の部屋です。
ここではこの壁を使って人物撮影も行いました。
そのときの写真は2009年の催しでチラシやポスターに使っていただきました。
また黒色の布で壁と床を覆い、黒バックで人物写真も撮りました。
そういったことを思い出すと懐かしい気がします。

古い家

この家での最後のパーティーは先日の

餃子パーティーでしたが、
古い家のお別れパーティーのようなものになりました。
鍵を返す時、やはり寂しいものも感じます。
ありがとうという気持ちでした。

台所と洗濯機

先日の引っ越しに関する記事

「引っ越しの日」の最後で書いたことです。
引っ越しは順調に進んだのですが、予想外のことがありました。
新しい家の方には洗濯機を置くスペース(小部屋)があるのですが、
持っている洗濯機がその小部屋の入り口幅より大きく
中に入れることが出来ません。
洗濯機は標準サイズです。
引っ越し業者の方が、フロントスイッチや大きな天板など
外せるものは全て外しても通りません。
困りました。他に外せそうな場所を探したり、
洗面所やバスルームにおけるか考えましたが難しそうでした。
結局諦めて、買い換えることになりました。
全くの予想外のことです。
そしてもう一つ気になっていることがありました。
これは引っ越し前から気になっていることで、
台所(システムキッチン)に関してです。
ドイツでそれは家具と同じように扱われ、引っ越しする時に
持って行くことがよくあります。
家探しの時も新聞などには「台所付き」と表示された物件があります。
言い換えれば、台所が付いていないのが一般的と言えるかもしれません。
新しい家には最初から台所がありました。
ですので、これまでの台所を売る必要があります。
そうしないと建物が取り壊される時に同じように取り壊されます。
それは残念で台所が可哀想な気もしました。
隙間が空いているところは洗濯機が入っていた場所です。
ドイツでは台所に洗濯機を置く家も多いです。

台所

張り紙をしたり、ネットの「売ります・買います」的なサイトに出しました。
その時点で自分が古い家に入れるのは残り僅か5日間だけで
その間に売れなければ何か考えなければなりません。
その台所一式と洗濯機をまとめて売ることにしました。
サイトに出した翌日に幾つか問い合わせがあり、
直ぐに見に来るという人がいました。
兎に角直ぐに持って行ってくれるのであれば、値段はこちらが
思っていた値段より安くなっても構いません。
その場で交渉がまとまり、
翌日夕方に台所と洗濯機を取りに来ると言うことになりました。
台所の解体作業は4時間ほどかかりましたが、
無事、洗濯機を含めて全てのものを持って行ってもらいました。
その方たちの新しい家でも大切にしてもらって欲しいものです。
台所があった場所は何もなく、
ものがあった時よりも狭く感じられるのが不思議です。

台所

いずれにしても台所と洗濯機の問題が9月中に解決したので
安心しました。

ネット環境の復活

引っ越しが終わり、ようやくネット環境が復活しました。
まだ新しい家での整理や古い家の掃除などで忙しく、
落ち着いていませんが、少しずつ、
引っ越し期間中のことも含め更新していきたいと思います。
(9月29日までのことは下の方に更新されていきます。)
どうぞよろしくお願いいたします。